ネオンの光が目に痛い。
様々な店が競いあって派手な光を灯し、毒々しいほど華やかに街中を彩る。誘蛾灯に引き寄せられる虫に似た、種々様々な客達が一夜の楽しみを求めてうろつき回っている。
その場はどこにでもあるような、普通に薄汚れた繁華街。たとえばうら若い女が一人で歩いていたところで不思議もない…客待ちかと思われる程度だろう。
だが、裏道に入れば話は別だ。ごみごみしていながらもそれなりに活気のある表通りとは違い、一段と薄暗く物騒な空気が立ちこめる。暴力沙汰に縁のない人間…ましてや女性が好んで通るはずはない雰囲気だ。
その場に一人で佇む女が、眉間の皺を隠しもせず舌打ちを零した。
ポニーテールに結った長髪に、黒いパンツスーツ。服装自体は至ってシンプルだが、素人目にもすぐさま上質と知れる素材とデザイン…さらにはまるで誇示するように、大きな石のついたネックレスが胸元に銀の光を添える。
故に彼女を見るものは十中八九、そのブルーダイヤのネックレスと大胆に開けられた胸元に目が行く。彼女の表情や所作に含まれるほんの些細な違和感になど、よほど注視しなければ気付くはずもない。
たとえ気付いたところで、この平和な国では誰も思いはしないだろう。
その懐に二挺の銃が仕込まれているなど。
(遅い!)
取引場所が猥雑かつ喧しい場所というのもさることながら(なにせほんの百メートル程度を進む間に三度も「その手合いの」店にスカウトを受けたのだ)、相手方が紛れもなくこちらを舐めてかかっていることがの苛立ちに拍車をかけた。約束の時間は長針半分ほども過ぎている。
加えて、ひどく蒸し暑い。背中を汗の玉が滑り落ちていく。そのあたりに放り出された水にボウフラでも湧いたものか、蚊の羽音が先ほどから引っ切り無しに鼓膜を刺激する。
(ああ暑い、来るんじゃなかった。蚊に食われた跡がもう二つばかりも増えたら、連中全員に鉛玉を食らわせてやりたいわ)
常ならばの役割は遠距離からの狙撃であるから、そのつもりになれば灼熱の炎天下で何時間も伏せたまま待ち続けていられる。忍耐力がなければワンショット・ワンキルを旨とするスナイパーはまず勤まらない。
しかし今日の目的は抗争ではない。取引だ。時間を守るのは当然ではないか。自分はなにが悲しくて待つ必要もない局面で、こんな薄汚れて猥褻で蚊まで多い場所に何十分も放置プレイを食らっているというのだ。
神経がささくれ立つ。
もうそろそろ本気で堪忍袋の尾が切れるという狙いすましたようなタイミングで、の視界に黒いスーツが映り込んだ。同じ型のスーツにネクタイ、細身のサングラス、よく磨かれた革靴までもぴたりと揃えた…それはひどく異様な一団が。
「失礼。バレルさんは中に?」
(…何こいつら。レゼボァ・ドッグス?)
一瞬で怒りが気化して消えた。
コスプレも結構だが、せめてもう少し格好のつくものを選んだらどうだと言ってやりたくなった。現代日本でこの格好は葬式帰りの田舎ヤクザだ。
もう少しましなものはいくらもあるだろうに…いや、もしもマカロニ・ウエスタンばりに派手なガンマンスタイルででも来られていようものなら、そんな連中と取引せざるを得ない現実に絶望してその場にうずくまって泣き出したかもしれないが、それはともかく。
まあ少ないとはいえそれなりに人目のなくもない場所で、のうのうと互いの目的や組織名を明かすような大間抜けでないことがせめてもの救いだった。
脳内で英語と日本語を切り替えると、得意の(と皆は言っている)アルカイックスマイルを口元に貼り付け、は静かに言葉を紡ぐ。
「ええ。…約束の時間は30分程前の筈ですが」
「大変失礼しました。道が混んでいまして」
少しは手の込んだ言い訳をしたらどうだ、お前はラーメン屋の出前か。
喉まで出かかった皮肉は飲み込み、恭しくドアを引いて彼らを店内へ誘い入れた。ほの暗い明かりと煙草の煙がいかにもな雰囲気を作り上げ、申し訳程度に添えられたピンク色の照明も可愛らしいというよりはむしろ淫靡さを際立たせる。冷房の効いた中では寒いだろうに、それでもきちんと服としての機能をほとんど果たさない薄着のままのホステス達にわずかに眉を顰めたが、さすがに店主に苦言を呈するまでの義理はない。我慢した。
何度も自分に言い聞かせたが、これはただのビジネスだ。
今回の取引相手は日本を拠点として大掛かりな重火器の売買を受け持つ、割合大きな組織である。小振りの銃の代名詞デリンジャーから対戦車ライフルまで幅広く取り扱い、また商品の質にも相当の拘りを持つ。事前に入念な下調べをしたの耳にも、粗悪品を売りつけられたなどという話はひとつとして届いていない。なるほど、日本人は凝り性も多い。
一度壊滅の憂き目に合ってからというもの、銃の品質に目を向けることすらままならなかった頃を考えれば、この取引はどうあっても成功させておきたいところだろう。
(私は銃なんて、撃てて当たればいいと思うけどな)
ちなみにバレルに聞かれたらさぞかし盛大な大爆笑が返ってくると思うので、一度として口に出したことはない。
閑話休題。そうした次第でブタのヒヅメは彼らの顧客となり、世界でも有数の平和極まる法治国家にて銃器を買いつけるというおかしな事態に至ったわけである。とはいえ今日のところは受け渡しは行わず、事前の品質確認なる名目の元に体良く品定めをされているのだとは理解しているが。
(まあうちだってどっちかって言えば武闘派で通してるわけだし、向こうは向こうで単に銃器を売りたいだけ。舐められてはいても、そうトラブルになるようなこともないか)
バレルの後ろに控えて、流暢な日本語を聞きながら考える。おそらく今回、自分の出番はあるまい。
それならそれで実に結構なことではないか。
名を上げ、腕を認められるのは確かに嬉しいことだ。しかしありもしない鉄火場をわざわざ望むほどは馬鹿ではない。うまく行くならば行くほうがいいに決まっているのだ。
「、取引は成立だ。明々後日に受け渡しをしたら、その足で日本を出るぞ。本部にそう連絡入れとけ」
「はい。…失礼します」
軽く頷き、踵を返して店を出る。
携帯電話を開き番号を呼び出そうとしたの手元に、ふと闇よりも暗い影がかかった。
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